私は不合理なことが大嫌いです。

このブログを読んでくださっている方の中にもそんな方いると思います。私はそんな「曲がったことが大嫌いな人間」なので正しいことは正しいというのが正義だと固く信じて“いました”。

でもね、この人間の世界、正論が必ず正しいというわけではないようです。


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「正論言われた…辛い…。」とあるSNSにて

昔々、私はある職場で上司に正論吐きまくってやったワケですよ。私の意見を黙って聞いてましたよ、その上司。それでも私は私が正しいと思って続けましたよ、正論を。なんたって「そのときの現場の不合理な状況」を何とか打破してあげたいの一心で。

そしたらその上司、泣いちゃいましたよ。

 

「上司がそんなんでどうするんだ!しっかりしろよ!」

 

ってその時の私は思っていました。

そしたらその後、その上司、自身のSNSに「正論言われた…辛い…」みたいなことを書きやがりまして。それに対してまたそのSNS仲間たちが「正論言われると辛いよね」とか「わかるわかる、○○さんは頑張ってると思いますよ」とか傷の舐め合い始めているわけですよ。

それを見て、私ももう怒り心頭でハラワタ煮えくり返りました。

めちゃめちゃ腹立って腹立って腹立って、インターネットで [正論 悪い なぜ] なんて検索しちゃったりして。で、とあるツイッターである言葉を見てハッとしたんです。それまで固く信じてきた「正義感だけで突っ走る私」という名の氷がトロッと溶けた感じがしました。

「正論よりも共感」

思い返せば私はこれまでも何度も何度も正論を言ってきたと思います。生真面目な性格の私は一生懸命目の前にある問題に対する正解を探して、それを相手に伝えることが正義で、そうやって現状を打破することばかり考えてきました。

正論は正しいです。本当に正しい。よほどひねくれた変な意見じゃない限り、状況を少しでも改善しようと考えに考え抜いた意見なはず。これしかない、これをやれば絶対にうまくいく!

でもね、正論よりも先にやるべきことがあったんです。

それが共感です。



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まずは相手の立場に立つ余裕を持つ

実際、正論をいきなり言っても現状って自分が思うほど良くならないんですよね。なぜか。世の中、人間の感情で成り立つ部分が大きいからです。どんなに正しい方法があっても、「そうだね!それでいこう!」とならなきゃ事は進まないわけですし、それよりも実は相手は今現在解決策を求めている段階じゃない場合もあるんです。

私のように正義感が強すぎる人間は答えを急ぎ過ぎると思うんです。問題発生⇒解決策提案⇒実行⇒解決というルートばかり考えてしまいます。

だけど実は大事なことがあります。共有・共感です。

問題発生⇒状況の共有・共感(⇒解決策提案⇒実行⇒解決)というのが理想的だと今の私は思っています。( )の中は“できればやる”程度に考えています。それよりも相手や周囲との「状況の共有・共感」が大切で結果を急がないようにしています。そのほうが結果的には自分の正しいと信じた意見(正論)がスムーズに伝わりうまくいくと思います。

 

「状況の共有・共感」だけを求めて対話してくる人もいます。そんな時に、共有・共感もせずに正論(解決策)を言ってしまうと相手は反発心さえ抱くことがあります。

「そんな状況で自分が正論を言われたらそうだな。」

よくよく考えてみるとそう思えました。そしてこれまでの自分の言動を思い返し、反省さえしました。それからは正論を言いたくなった時は一呼吸を置いて、まずは相手の立場に立って、状況を共有・共感するよう心掛けるようになりました。

そういうスタンスでいると「なんでわかってくれないんだ!」とか「もっといい解決策があるだろ!」なんていう色々なストレスが小さくなるし、相手との隔たりも小さくなってメリットの方が大きいことに気付きました。もっと大げさに言うと、とても生きやすくなりました。

 

正論よりも共感。

ついつい結果を急ぎたがる自分への戒めとして、今でもときどき思い出す言葉です。

 

共感が大切といえばこちらの記事が笑えます(^^)

>> 『正論よりも共感』がよくわかる笑える知恵袋のベストアンサー

 

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